ID : 10014
公開日 : 2009年 1月 5日
タイトル
森の国で生きる 国内最大の認証林誕生
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新聞名
毎日新聞
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元URL.
http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20090104ddlk19040026000c.html
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元urltop:
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写真:
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厳しい審査に緊張の連続
02年11月25日午前。10人ほどの一行が県庁を訪れた。白い口ひげを生やした大柄な外国人男性がひときわ目立つ。米国の認証機関「スマートウッド」のウォルター・スミス上級技術専門家をリーダーとする審査チー
ムだった。この日から、8日間にわたるFSC(森林管理協議会)認証の本審査が始まった。
審査員は5人でスミス氏以外の4人は大学教員や民間研究所研究員などの日本人。「森林生態学」「森林管理学」「森林経済・社会学」「社会調査」各分野の専門家だった。
審査は書類、現場、利害関係者への調査の三つを柱に進められた。
「その人工林の樹種は何ですか」「苗木はどこから仕入れましたか」--県庁会議室で行われた書類審査では、項目ごとに説明する県職員に審査員から次々と質問が飛んだ。リーダーのスミス氏も、常に詳細なデータの
提示を求め、通訳を通して納得するまで疑問をぶつけてきた。
午前中に始まった書類審査は夕方までかかった。その後は、利害関係者への公聴会。舞鶴城公園内の恩賜林記念館に県内の環境NGO(非政府組織)や観光団体、市町村など13団体が集まった。会場に県職員は入る
ことができなかった。
そのころ、元県林務長の河野元信さん(55)は東京・霞が関のオフィスで「ついに始まったな」と遠く山梨に思いを馳(は)せていた。県のFSC取得を主導した河野さんは01年4月に古巣の林野庁に山地災害対策室長と
して戻っていた。
河野さんは大分県出身。実家は林業を営んでいた。祖父が植えた木を孫が切り出すという息の長い仕事、植物の不思議に魅せられた。林業に進むことに迷いはなかったが「家業を継ぐ前に広い視野を持ちたい」と林野
行政の道を選んだ。
「審査が厳しいのは知っていましたから、一抹の不安はありました。でも、取れないはずはないと信じていましたよ」
審査員は2日目以降、現地調査に入った。書類上のことが実際に行われているか、目と耳で確認するのだ。
富士北麓(ほくろく)から八ケ岳の南麓(なんろく)まで、県が用意した車で県内をくまなく回った。伐採地、治山工事現場、獣害を受けている所など訪れたのは計37カ所に及んだ。現場では県職員に説明を求めるほか、
働いている作業員へのインタビューも行われた。
「あれは何ですか」。ある現場に向かう途中、スミス氏が車を止めた。作業が終わった場所なのに木材を林の中から運び出すワイヤが残されていた。業者のミスだった。こんな形で臨機応変かつ厳しい調査が続いた。
審査最終日。甲府市の県民会館で講評があった。
「審査への協力を感謝します」。緊張感を漂わせる県の担当幹部と職員を前にスミス氏は淡々と切り出した。
評価されたのは▽5年ごとに新しい情報を反映して策定している経営計画▽木材資源の成長量や収穫量の調査が適切に行われていること--など。一方で▽希少生物を保護するためのマニュアル▽県有林材の販売
戦略▽森林の生態系に関する県職員と請負業者への研修計画--をそれぞれ作ることが要改善事項として指摘された。
「格段に規模の大きい山梨県有林が認証を取得することは、日本にとっても意味がある。先駆的な立場でFSCを全国に発信していくことを期待しています」
審査員の一人が、そう言って講評を締めくくった。その瞬間、当時県有林課で総括的な事務を担当していた金子景一・森林環境総務課副主幹(47)は認証取得を確信したという。「緊張の連続だったので、本当にホッとし
ました」
03年4月10日。山梨県有林はFSC認証を取得。国内最大(14万3000ヘクタール)で国内初のFSC認証の公有林が誕生した。=つづく