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- ID:
- 26722
- 年度:
- 2013
- 月日:
- 0204
- 見出し:
- 南部梅林「日本一」と紹介 昭和初期の雑誌など
- 新聞名:
- 紀伊民報
- 元URL:
- http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=246651
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 和歌山県田辺市湊、あおい書店代表の多屋朋三さん(66)は、みなべ町晩稲の南部梅林を紹介した昭和初期の雑誌やリーフレットを所有している。「日本一」「天下に有名」「一目五萬本」などと書かれてあり、多屋さんは「当時から豪勢な梅林だっただろう」と話している。
雑誌は1932(昭和7)年2月号の「紀州農報」(A5判)。その中に「上南部村の梅」の記事が掲載されている。著者は山崎定一さん。「紀州農報」は「和歌山県農会」が毎月発行していた農家向けの専門雑誌で、多屋さんが昨年12月に市内に住む知人から譲り受けた。記事によると、南部梅林は1886(
明治19)年に晩稲の内本幸次郎氏が自分の山林を開墾して梅の木を植えたのが最初で、晩稲の内本徳松氏が発見した有望種によって栽培者が激増して形成されたという。このほか、当時の梅産業の「現状」、梅の栽培法などが詳しく書かれている。
リーフレットは「大阪商船」が運航していた阪神方面と紀南を結ぶ旅客船をPRしようと、1929(昭和4)年に作られた「紀州南部の梅林」(縦17センチ、横30センチ、三つ折り)。多屋さんが5年ほど前に知人から譲られたという。同社内の「南紀保勝協会」の発行で、当時、京阪神方面に配られたものとみられ
る。南部梅林や、かつて田辺市新庄町にあった「田鶴梅林」の紹介と、大阪商船を利用した観梅の旅程の提案、大阪や神戸、和歌山から紀南への航路と南部梅林、田鶴梅林を中心とした観光地を描いたカラー地図が載っている。
このほど多屋さんが会員になっている「熊野歴史懇話会」(橋本観吉代表)とあおい書店が「上南部村の梅」の記事を300部、リーフレットを200枚複製した。観梅客に配ってもらおうと、南部梅林を運営する「梅の里観梅協会」に寄贈した。
◇
南部梅林は1月26日に開園している。田辺市上芳養の紀州石神田辺梅林は1日に開園した。みなべ町岩代地域の岩代大梅林は2日からで、いずれも3月3日までの予定。
【南部梅林を紹介した昭和初期の雑誌やリーフレット。奥が原本で、手前が複製(和歌山県田辺市湊で)】
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