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- ID:
- 27396
- 年度:
- 2013
- 月日:
- 0410
- 見出し:
- 戦後の幻の軽飛行機を修復
- 新聞名:
- NHK NEWS WEB
- 元URL:
- http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130409/k10013796071000.html
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 戦後、再開された日本の航空産業の初期に、東京・立川市の会社が製造した軽飛行機が当時の姿のまま修復され、立川市で披露されました。
この軽飛行機は「R-HM」と呼ばれ、昭和29年、フランス人技師の設計の下、海外に輸出する目的で立川市の会社が1機だけ製造しました。
この機体は、立川市内の倉庫に長い間、保管され、会社では貴重な機体を後世に残そうと、当時の材料や塗料などをできるだけ使って、ことし1月から機体の修復に取り組み、完成した機体が9日、披露されました。
機体は、全長およそ6メートル、幅8メートルで、木製と鉄製の骨組みに布を貼り巡らし、特殊な塗料を塗っています。
修復された機体は飛ぶことはできませんが、製造当時、最高速度が時速150キロ、3000メートルの高さにまで上昇できたということです。
修復した会社の内田満夫部長は、「修復作業を通して戦後まもない時期に国産の飛行機を作った先輩たちの心意気を感じることができた」と話していました。
また、父親が設計に関わり、子どもの時に「R-HM」の操縦席に座ったことがあるという東京・八王子市の今澤隆一郎さん(68)は「航空ショーで、この飛行機を一緒に見たのが、父との楽しい思い出です。父も喜んでいると思います」と話していました。
会社では、今後、戦後まもなくに製造された、ほかの軽飛行機の修復にも取り組み、完成後は「R-HM」と合わせて一般公開する予定だということです。
「R-HM」とは
日本の航空機産業は戦後、GHQ=連合国軍総司令部により研究や設計、製造を禁止されていましたが、朝鮮戦争が激しさを増していた昭和27年に規制が解除され、アメリカ軍の戦闘機の修理を請け負う形で再開しました。
修復した会社によりますと、「R-HM」は規制解除の2年後の昭和29年、フランス人技師の設計の下、新しい産業を創出しようと、海外に輸出する目的で製造されました。
機体は軽くするため、木製と鉄製の骨組みに布を貼り巡らし、その上から特殊な塗料を塗っています。
全長はおよそ6メートル、翼を広げたときの幅は8メートルと、当時の航空機としても小型で、製造費が安いことが特徴でした。
大きな主翼が2枚と垂直尾翼があり、2枚の主翼は農場で使う際に納屋などに収納できるよう折りたためるようになっています。
しかし、操縦が極めて難しかったため、実際に製造されたのは今回、修復された1機にとどまったということです。
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