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- ID:
- 33678
- 年度:
- 2015
- 月日:
- 0812
- 見出し:
- <戦後70年>秋田に眠る「樹木の兵器」
- 新聞名:
- 河北新報-
- 元URL:
- http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150812_43002.html
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 太平洋戦争末期、不足する軍事物資の代わりに樹木を利用しようとした痕跡が秋田県内に残る。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)用の木製プロペラの羽根の試作品や、航空燃料用の「松根油(しょうこんゆ)」の採取跡だ。金属や石油が手に入らなかった終戦前の切迫した状況を物語る「物証」は、戦争の悲惨さ
、愚かさを問い掛けているかのようだ。(秋田総局・藤沢和久)
木製プロペラの羽根の試作品は、井坂記念館(能代市)と仁別森林博物館(秋田市)に展示されている。
長さ1.32メートル、幅27センチ、重さ16.7キロ。いずれも旧秋木工業(能代市)の子会社、旧秋木機械製作所(同)が1945年1月ごろから製作した。ブナの板を貼り合わせた単板積層成型材でできた、当時としては高度な技術を用いたものだった。
仁別森林博物館の記録によると、同製作所が海軍技術廠の指導を受けて試作。現存する1枚は当時の技術班長が保管していた。
元従業員らが90年に出した回顧録「我々の秋木 昔と今」によると、能代工場で作った金型を栃木県矢板町(現矢板市)の工場に送り、ブナ材をはめて電気熱で接着して作り上げた。
「ブナ材を用いたのは硬くて丈夫なのに加え、杉に比べて利用価値が低く値段も安かったからではないか」。井坂記念館の管理人小林甚一さん(76)は、森林組合で勤務した経験から当時の事情をそう推察する。
軍需用のブナ材を求めた痕跡も残る。白神山地の麓、秋田県藤里町の岳岱(だけだい)自然教育観察林には、幹に「用」の文字がうっすらと残る木がある。
秋田白神ガイド協会認定ガイドの小森久博さん(62)によると、プロペラに適した木に目印を付けたもの。「70年の年月を経て幹が太く成長した結果、横線は細く、縦線が太くなっている」と、トレッキング客に語り掛ける。
戦争遺跡などを研究している能代市の作家野添憲治さん(80)は別の見方を示す。「プロペラ用にブナ材を秋田から運んだとは考えにくい。旧松下造船が戦時中、能代市で物資運搬船を造っていたので、その材料にブナ材を用いたのではないか」と推察する。
松根油を採取するために松の根元を掘った跡は、千秋公園(秋田市)や風の松原(能代市)に残る。銃後の女性らが動員されたが、実用化には至らなかったという。
野添さんは「戦跡の資料は少なく、痕跡も消え、体験者も亡くなっていく。私自身も聞いた話や集めた資料を残しているが、県なども遺跡や資料の保存に力を入れるべきだ」と話す。
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