v10.0
- ID:
- 31889
- 年度:
- 2014
- 月日:
- 1130
- 見出し:
- 細川紙 手すきの継承(下) 古来の製法、体得を
- 新聞名:
- 東京新聞
- 元URL:
- http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20141130/CK2014113002000138.html
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 十一月二十三日朝、東秩父村にある内村久子さん(67)の和紙工房に二人の若い和紙職人が顔を出した。小山妙子さん(32)と高山紗希さん(22)。この日から二人に対する細川紙の手すき技術の研修が始まった。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産への登録決定は、和紙そのものではなく和紙を手すきする技術が対象。その技術の保持団体・細川紙技術者協会が研修生を選び、正会員が年間三十~四十日、五年間にわたり技術を伝える。小山さんと高山さんを教える講師は内村さんと、協会会
長の鷹野禎三(ていぞう)さん(80)だ。
現代の手すき和紙の原料作りは、コウゾの皮を煮るのにボイラーが利用され、コウゾの繊維を砕くのにも機械が使われる。
研修では、まきを使ってコウゾを煮て、カシの棒で皮をたたいて繊維を砕く「かず打ち」など、古来のやり方を教える。鷹野さんは「自分が通ってきた道を、最初から一つ一つ教えていく」と話した。
小山さんは鴻巣市出身。京都府の専門学校で黒谷和紙の職人から二年間、手すきの技術や和紙を使った財布、和とじ本作りなどを学んだ。卒業した二〇一〇年、就職しようと小川和紙工業協同組合に電話して、鷹野さんの工房を紹介された。工房では主にコウゾを煮るなど原料作りを担当している。
高山さんは栃木県足利市出身。日大芸術学部で木版画を学んでいたが、素材の和紙そのものに興味が移った。卒業した今年三月、従業員を募集していなかった東秩父村和紙の里に「働きたい」と申し込んだ。紹介された鷹野さんの工房で三カ月研修した後、和紙の里に就職した。原料作りや団体の小学
生に紙すき体験の指導をしている。
国の重要無形文化財でもある細川紙の技術保持者とされる協会の正会員になるには、十五年以上の経験と正会員が認める技術が必要。独立していることも条件だ。鷹野さんは十五年の歳月を「十五年あっても十五日しかない」と表現する。水温、気温の変化、その日の体調が紙作りに影響し、三百六十
五日違うという意味だ。
十九年の経験がある正会員の内村さんでさえ、「なぜ、こうなったんだろう」と考え込むことがある。隣に工房を構える鷹野さんに聞くと、その場で答えが返ってくるという。「まだまだ努力して向上していかなければ」と内村さんは話す。
紙作りを始めて間もない高山さんは、その難しさを「コウゾを煮たり、機械で砕く際に何分と決めてやっても、気温によって結果が違う。手すきは体調によって感じる重さも違うので、同じ厚さにすいたつもりでも違っていたりする。作業場への光の差し込み方でさえ影響する」と説明する。そのすべてを克服するに
は、長い年月をかけて体得していくしかない。
高山さんは「課題を見つけながら作業しているので、つらいと思ったことはない。将来、自分の工房を持ち、建築や車など現代に使われる素材も提供できる職人になりたい」と夢を語る。
一方、小山さんは「江戸時代には、ごく普通の職業だったと思うので、(無形文化遺産と)気負わずにやっていきたい」と自然体だ。そして、こう話す。「木の皮が形を変えて一枚の紙になる和紙作りが好き。同じ作り方でも人によってできる紙が違う。自分はきれいな紙がすきたい。きめ細かくムラのない、きれい
な紙がすきたい」
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