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- ID:
- 31873
- 年度:
- 2014
- 月日:
- 1127
- 見出し:
- 常瀧寺「乳の木さん」親木説 鶴岡八幡宮の「隠れイチョウ」 鎌倉の医師が研究
- 新聞名:
- 丹波新聞
- 元URL:
- http://tanba.jp/modules/topics/index.php?page=article&storyid=8467
- 写真・動画など:
- なし
- 記事内容
- 県指定文化財で推定樹齢1300年とされる常瀧寺 (丹波市青垣町大名草、 伴知憲住職) の大イチョウ 「乳の木さん」 が、 鎌倉幕府三代将軍源実朝が暗殺された源氏ゆかりの鶴岡八幡宮 (鎌倉市)-「隠れイチョウ」 の親木だとする説を、 鎌倉市の医師が同市医師会誌で発表した。 医師は、
頼朝の祖先の源氏が丹波から持ち帰り、 植えたと見ている。 医師の取材を受けた伴住職は 「確かめようがないが、 夢がある話」 と、 歴史ロマンに興味を示している。
頼朝によって移設される前の鶴岡八幡宮 (現在の元鶴岡八幡宮、 1080年創建) 近くの開業医、 西井豊明さん (77)。 鎌倉のシンボルでありながら、 4年前に根元から折れた同イチョウのルーツを知りたいと、 文献を読み、 インターネットで情報を集めた。
樹齢約1000年の 「隠れイチョウ」 より古く、 同じ雄株を探し、 近畿最大の常瀧寺の大イチョウを見つけた。
同八幡を含む関東、 奥羽街道沿いに同じDNAを持つ樹齢800年超の雄株が集中、 西日本にある同イチョウ一本だけが同じDNAの雄株で飛びぬけて古く、 「ルーツ」 と考えた。
中国原産で、 仏教伝来に伴ってもたらされたと考えられているイチョウは当時、 薬草として使われるなど極めて貴重で、 要人でなければ入手できない特別な植物だったという。 源氏は信仰が厚く、 イチョウを戦勝祈願の守り神のように考えていた。
幼木の入手ルートとして、 西井さんは、 川西市の満願寺に注目。 平安中期に源満仲が帰依して以来、 源氏の祈願所として栄えた同寺は、 常瀧寺と同じ高野山真言宗。 満願寺を通じ、 常瀧寺から手に入れたと考えている。
源義家がこれを元鶴岡八幡宮に植え、 火災で焼失した鶴岡八幡宮を頼朝が再建した1193年に、 樹齢100年ほどに育った株を元八幡から移植したと推測している。 当時、 樹齢100年もの雄の株の調達先が他になく、 植え替えたと考えている。
また、 常瀧寺の大イチョウの種か苗は、 奈良時代に鑑真 (753年来日) によってもたらされたと推論を立てている。 中国の天目山のみで生き延びていたイチョウを増やすため、 鑑真を重用した聖武天皇が各地の豪族に栽培適地を探させ、 天目山に似た環境の丹波に植えたと見ている。
西井さんは、 「今と違って、 誰もが日本中を行き来するような時代ではなかった。 源氏は各地で戦勝祈願のイチョウを植えており、 樹齢800―900年のものが各地にある。 当時の源氏の動きやDNAと照らすと、 丹波から持ち帰ったと考えるのが自然」 と話している。
また、 「より調べれば、 詳しいことが分かるのではないか」 と専門家による研究が進むことを期待している。
【常瀧寺の大イチョウ】養老年間 (717―724年) に同寺開基の法道仙人が植えたと伝わっている。 幹回り11㍍。 「乳の木さん」 の愛称で知られ、 樹皮を煎じて飲むと母乳の出が良くなるとの民間信仰が伝わっている。 元の本堂はイチョウの近くの山の中腹にあったが、 明智の丹波攻めで焼失、
後に里に下りた。 大イチョウは元の寺の場所にある。
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