v10.0
- ID:
- 31651
- 年度:
- 2014
- 月日:
- 1028
- 見出し:
- 中国若者の生の声(183)2027年の花
- 新聞名:
- 同天
- 元URL:
- http://www.douten.asia/news/1102
- 写真・動画など:
- なし
- 記事内容
- 窓からどんどんと後ろに流れていく高層ビル、瞬く間に水田が目に入った。濃い緑の早苗が風になびいてかわいいらしい。これは、20年、30年ずっと僕と相伴っている家である。ふと白い鶴が空へと飛び出していた。「俺でなければ誰にできよう」という気がしてきた。列車はしばらくトンネルに入った。
この列車は、普通列車である。「急げといわれれば急ぐ、急げといわれなければ急がない」といわれる80年代の私のためにわざわざ用意されているようであった。逆方向を走る特急列車が、矢のごとくチラリと見え消えていった。それでも、よくこの線で往来する僕にとっては、いくら速くても見わけることができる。
あの特急はどこの工場で作られたかを。その母親はやはり日本人である。20余年前に技術譲渡で中国に入ったものである。今は、もう6代目になるのだろうか。
正直に言えば、今の中国では、多くの物が当時日本から特許権技術を導入し、それをもとに、新しく創造されたのである。特に、20年前に高度経済成長につれて、いろいろな環境問題が浮かび上がってきた時、日本から多くの関連技術を受け入れた。当時、中国の環境保護は資金も少ないし、技術も時代に
後れていた。それに、人々の環境保護意識も強くなかった。50年前の日本とどこか似ているようだった。特筆すべきは、2007年の太湖水汚染事件である。そのとき、私は大学3年生であった。夏休みの実習を準備していった。多くの人たちは、太湖が30年前の琵琶湖になるのではと心配した。日本政府は琵琶
湖の水質を改善するには30年もかかった。幸いなことに、中国の専門家達は、先進国の経験を参考にして、数年間で徹底的に太湖をなおせた。
多年の経験で、政府が自分なりの環境保護の道を見つけた。それは持続可能な経済発展を資源利用の観念から下流の廃棄物問題へと辿るアプローチを取っているのである。これは循環型社会の構築という課題に取り組んでいる日本をはじめとする多くの国では、廃棄物問題解決の観点から上流の資
源の持続的利用の問題へと遡るアプローチとして捕らえているのと大きな相違点がある。
いつの間にか、列車もう草原に入った。牛や羊や馬などが草を食べている。かなたは、果てしないモウハクヨウの防砂林である。かつての砂漠は中国で言う「風吹草低見牛羊」(そよ風の中に草を食べている牛や羊がいる)という風景を呈している。土砂あらしのニュースは久しく聞いていないな。北京を訪れてい
ないそうであると。列車の警笛がなった。もうすぐカルシン駅だ。そこには、僕の夢を埋めた。
20年前、鬼塚木という日本人は、その防砂林の奥に桜の木を55本植えた。桜の花が咲いたときには、日中両国がまことに協力し合って未来を迎えることができるようにという願いを込めて植えたのである。でも、3年後、先生は病気でなくなった。先生と知り合ったのは、先生が桜の木を植える3年前のことだった
。その時、私は大学に入ったばかりで、日本、日本人及び中国での日本人についてのことを非常に知りたがっていた。偶然の機会に、中国で数十年も木を植えつづけている鬼塚木先生とペンフレンドになった。その後、インターネットを通して先生と交流するのは、毎週の必修の課目になった。そして、共通の夢
があった。
カルシン駅に近づくにつれて、私の心には、昔の思い出がよみがえってきた。もう一度先生に会いたいなと思った。たぶん願いが届いたのだろう。隣席の車窓がふと開かれた。そよ風がそっと顔をかすめる。下車の準備しようとばかりに、白、紅色の花びらがひらひらと車内へ舞い落ちた。「あ、桜、桜が咲いた
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