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木造建築のネツト記事
ID :  4038
公開日 :  2007年  6月 8日
タイトル
[城内の桐で軍資金調達 金沢駐屯の陸軍第九師団、明治40年 北國総研が調査
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新聞名
北國新聞
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元URL.
http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20070608101.htm
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元urltop:
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写真:
 
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一九〇七(明治四十)年春、金沢城に駐屯していた陸軍第九師団が城内に生えていた桐(きり)の木六十本を伐採し、民間に売却していた事実が、防衛省防衛研究所図書館(東京・中目黒)所蔵の公文書で七 日までに分かった。桐には樹齢百年を超す直径約九十五センチの巨樹も含まれており、日露戦争後の軍備拡張に駆られる九師団が家具などの用材として珍重された桐に目を付け、藩政期以来の城内の植生や景観に配 慮することなく、軍資金調達を図っていたことが浮き彫りとなった  財団法人北國総合研究所が「金沢城辰巳櫓(やぐら)の研究」の関連調査中、戦前の各陸軍師団から陸軍省にあてた公文書などを集めた「陸軍大(だい)日記・肆(し)大日記」の中に、明治四十年三月九日付で井出治第 九師団経理部長が寺内正毅陸軍大臣にあてた「樹木伐採売却処分方相伺」とのタイトルの禀議書があるのを見つけた  記述では「一 桐木 根廻り 貮(に)尺以上九尺迄(まで) 六拾本」と冒頭に対象を明記し「老朽のきざしがあり、強風による自滅もなしとしない。放置しておくと材木の価格が下落するし、枝がほかの木を強風で損傷す る恐れがある」と墨書し伐採したい旨、禀申している。これに対し十四日付の「御指令案」として、「伺いの通り」としている。  このことを裏付けるように三月二十五日付北國新聞朝刊は「旧城内の桐立ち木約六十本は近日入札する見通し」と報道。四月十一日付朝刊には「過日入札したところ遠く名古屋、京都、大阪などから多数商人が来たが、 当地の商人は同盟して我手に落札しようと図った結果ほとんど二倍の高値で落札した」との後日談も掲載されている  本康宏史県立歴史博物館学芸専門員は「軍隊の権力が強大な時代だったから陸軍大臣の決裁を受ければ即実行。高く売れる木を選び軍資金に充てたのだろう」と語る  桐の木が六十本も明治末の金沢城にあったことを初めて知り「藩政期の人為的なにおいを感じる」とするのは北垣聰一郎県金沢城調査研究所長。城内に木を植えることは石垣破壊につながるため、してはならないこと だったとした上で「桐ばかり六十本も植えられていたことは、桐はイチョウと並び火に強いので、宝暦の大火(一七五九)など幾度もの大火に懲りいわゆる防火樹として植樹したか、用材としての価値の高さから植樹した のか」と防災史の観点からも推測する  県金沢城・兼六園管理事務所は二〇〇二年度の城内植生調査で桐の木は二本だけ残っていることを確認しており、浜田哲郎同事務所金沢城公園課長により四日、金沢城公園本丸南側と丑寅櫓(うしとらやぐら)跡南側 の二カ所に現存が確認された。県林業試験場森林環境部の小谷二郎専門研究員によると、直径約九十五センチという桐の巨樹は「見たことも聞いたこともない」とし、それだけに「伐採されてしまったのは大変もったいな い」と話している。