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木造建築のネツト記事
ID :  3622
公開日 :  2007年  4月24日
タイトル
[復元建築、根拠は色々 同一の資料から異なる解釈
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新聞名
朝日新聞
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元URL.
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200704240294.html
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元urltop:
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写真:
 
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博物館や遺跡公園で、縄文~古墳時代の竪穴式住居などの建物を見かけたことはありませんか? 発掘された柱跡などをもとに、当時の建物を推定・再現したものなのです。いわゆる「復元建築」。でも実は 、研究者によっては、復元案にもバラツキが――。こうした現状を踏まえ、複数の案を示すケースも出てきました 5人の研究者が復元を競った島根県立古代出雲歴史博物館の常設展示=島根県出雲市で 復元された吉野ケ里遺跡の主祭殿=佐賀県吉野ケ里町で  島根県出雲市に先月オープンした、県立古代出雲歴史博物館。常設展示の目玉の一つが鎌倉時代の出雲大社本殿を復元した五つの模型だ。00~01年の発掘調査で鎌倉期の巨大柱が出土したのを踏まえ、東北芸術 工科大教授の宮本長二郎さん、神戸大准教授の黒田龍二さんら建築史の研究者5人からさまざまな復元案が出された。それぞれの案に基づく模型を並べている。  高さ50メートル近い案から30メートル以下のものまで。一部の柱が床を突き抜けて屋根まで届くもの、内側に傾斜しているものなどかなりの幅がある。  根拠とした資料が違うのかといえば、研究者が使ったものはほぼ同一。同社の宮司家に伝わる「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」は、本殿の平面のみを示す見取り図。巨大柱の実物、同じく鎌倉時代の境内 の様子を描いたとされる「出雲大社并(ならびに)神郷図」なども参考にした。  芝浦工業大教授の藤澤彰さんは、「神殿の高さは十六丈(約48メートル)」という説を採用。「差図」などに基づき、長さ約109メートルの長い階段を取り付けた。  広島大教授の三浦正幸さんは、高さ十六丈の神殿は機能的ではなく、考えにくいとして、遺構や現存する大社造本殿などをもとに、現在とほぼ同じ、棟高八丈(約24メートル)の模型を制作。鳥取環境大教授の浅川滋男 さんは、CGで大中小の三つの復元案を提示し、その中から「神郷図」に最も形が近い、「中」を模型にした。  同館学芸部長の松本岩雄さんは「同じ資料に基づいても、これだけの考え方が存在する。そのことを見学者の方に知ってもらい、どれが正しいんだろうと考えてもらいたかった」と話す。藤澤さんも「それぞれの説を示 せたのは良いことだと思う」と振り返った。  一般的に、復元の基となるデータは、時代や地域によって異なっている。  出雲大社のように絵画や見取り図まで残っているケースは、むしろまれ。縄文~古墳時代などの場合、発掘された柱穴や、出土した建築部材、世界各地の少数民族の住居などを参考に、建築史の研究者が推測・復元す ることが多い。  三内丸山遺跡(青森県)のように、縄文時代の竪穴式住居を2種類の茅葺(かやぶ)き、土葺き、樹皮葺きと四つのパターンで再現したところもあるが、登呂遺跡(静岡県)、池上曽根遺跡(大阪府)など、多くの遺跡では、 基本的に一つの建物について1案しか示していない。  弥生時代の物見櫓(ものみやぐら)や住居など100棟近い復元家屋が建てられている、佐賀県の吉野ケ里歴史公園もその一つだ。  東北芸術工科大の宮本さんらによる同公園建物等復元検討委員会が、現在のタイなどの例や、古代中国と弥生時代の考古資料に見られる家の表現などを基に2年かけて復元した。「主祭殿」は3層の威容を誇る。  だが、解説板には「現時点では当時のものに最も近い形で出来ていると考えていますが、この他にもいろいろな意見をお持ちの研究者がおられます」とあるだけ。復元の根拠や他案は示されていない。  佐賀県教育庁主幹の七田忠昭さんによれば、復元の根拠などは、付設の県立吉野ケ里博物館(仮称)で展示されるはずだった。ところが緊縮財政で同館の計画は凍結。そのままになってしまった、という。  実際に復元建築に入って楽しめるという同園のコンセプトもあって、やや大きめ、頑丈に造られている。車いす用の昇降機を備えた高床建物もある。  「私たちもこれが完全な復元だとは思っていません」と七田さん。「ただ、造っていく過程で初めてわかることもあるし、復元建築の実物があれば、それを元に議論ができる。新発見があったら、建て替えの時に直すくら いのつもりではいるのですが……」  とはいえ、実際に目に見える形で示されれば、「こんなに立派なの」と信じる見学者もいるだろう。  出雲大社の復元を手がけた浅川さんは、「最終的に一つの案しか示さない場合でも、研究者は、それまでにいくつも可能性を検討している。今後は、その過程も、できる限り現地で提示していった方がいいのではない か」と話している。