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ID :  3370
公開日 :  2007年  4月 3日
タイトル
[名作探訪『桜の森の満開の下』
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新聞名
慶応塾生新聞
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元URL.
http://www.jukushin.com/article.cgi?r-20070403
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元urltop:
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写真:
 
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今月紹介するのは坂口安吾の短編小説『桜の森の満開の下』である。現在では表題作として短編集に収録されている。  物語は、満開の桜の木の下は人に恐怖を抱かせる、という話から始まる。豪傑にして残忍な山賊の男は桜の森のある山に住んでいた。彼は八人目の女房として美しい女を奪い取るが、その女は桜の森の下と似ている 雰囲気を醸しだしている。女の美しさに夢中になり、男は精一杯女の世話をする。いつしか都に住むようになり、女はおぞましい遊びに興じる。人の生首と戯れるのだ。夜な夜な男に首を刈らせ、まるで人形遊びのように 首と首を弄ぶ。  「姫君の首も大納言の首ももはや毛がぬけ肉がくさりウジ虫がわき骨がのぞけていました」、「くさった肉がぺチャぺチャとくっつき合い鼻もつぶれて目の玉もくりぬけていました」。また、次の女の台詞は狂気と言っていい 。「『ほれ、ホッペタを食べてやりなさい。ああおいしい。姫君の喉もたべてやりましょう。ハイ、目の玉もかじりましょう。すすってやりましょうね。ハイ、ペロペロ』」。  あまりにもグロテスクな情景だが、読者の脳裏には満開の桜の美しさのようなイメージが喚起される。おぞましさから何故か美が引き出される。この感覚は何か?この問いはこう言い換えられる。満開の桜の下には一体 どんな秘密があるのというのか? 「桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分かりません」。物語の最後にはこう書かれている。男は満開の桜の下で泣きながらその場から逃げさる。狂気の女は満開の桜と似た雰囲気を持つ。  残酷な男が恐れ、非道な女が体現しているもの。それは「純粋にして真の邪悪さ」というものではないだろうか。  「純粋にして真の邪悪さ」は「美」に結びつく。「美」を追求した作家に三島由紀夫がいる。三島の『金閣寺』の主人公は完全なる美を切望し、金閣寺放火を決行、『春の雪』の美しき青年・松枝清顕はある種の邪悪さを備 え持つ。現実にも、男女の美しい恋物語や、壮麗な建築物の裏には必ずと言っていいほど邪悪な事実が埋もれているものだ。美しき自然も、一変して邪悪な暴力性を現すことがある。  満開の桜は美しい。その下には極めて純度の高い邪悪さが潜んでいる。この作品全体を貫く美しいイメージはここに起因しているのだろう。