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ID :  2907
公開日 :  2007年  2月28日
タイトル
[倒産から29年…永大産業、悲願の再上場
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新聞名
産経新聞
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元URL.
http://www.sankei.co.jp/keizai/sangyo/070228/sng070228002.htm
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写真:
 
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戦後最大級といわれた総額1800億円の負債を抱えて昭和53年、事実上の倒産をした大阪市の建材メーカー、永大産業が28日、東京証券取引所2部に株式を上場し、29年ぶりに株式市場への復帰を果た した。カリスマ創業者の死と住宅事業の失敗、そして会社更生法の適用…。一度は沈みかけた会社に残った従業員たちを支えたのは、「支援してくれた取引先にいつか恩返ししたい」との思いだった。(山田桂子) 「支援の取引先にいつか恩返し」  「永大産業が倒産」「会社更生法適用を申請」-。新聞各紙の夕刊1面に大見出しが踊ったのは昭和53年2月20日。大阪市住之江区の本社や各地の営業所には取引先が押しかけた  当時、入社10年目の営業部員だった吉川康長社長(63)も東京営業所で対応に追われたが、倒産に驚きはなかった。「ずい分前から、納得いかない経営が続いていましたから」。昭和30年代後半から本格化した住宅 販売事業で、土地を買いあさっていたからだ  同社の原点は戦後、大陸から引き揚げてきた深尾茂氏(故人)が始めた小さなベニヤ工場。住宅復興の波に乗って急成長し、昭和49年には売上高約1530億円で住宅メーカー6位に昇りつめた。原動力は深尾氏の“モ ーレツ商法”。丸太が1本、工場に放置されていると「これが金に見えないのか」とステッキを振り上げて怒ったという  その深尾氏が48年に急死し、石油ショック直後の建設不況が追い打ちをかける。奈良県などでの土地大量取得があだとなり、50年に200億円の赤字に転落。52年にメーンバンクの大和銀行(現りそな銀行)の専務 を社長に迎え入れるが、立て直しには遅すぎた  負債総額1800億円は50年の興人に匹敵する大型倒産で、東証1部を上場廃止に。連鎖倒産を懸念した政府のてこ入れで銀行各行が特別融資を行い、取引先の中小企業の救済にあたるなど社会問題に発展した  グループ全体で3000人いた社員は3分の2に削減され、住宅販売からは撤退した。だが、建材を売ろうにも社内需要がなくなり、「売る相手がないのがつらかった」と吉川氏  他の住宅メーカーと直接取引をしようと、吉川氏が名乗りをあげて新販路開拓を行う「東京特販部」を設立した。これを起爆剤に売り上げを伸ばし、平成5年に計画より2年前倒しで会社更生手続きを終えた  株式再上場の機会は10年前にもあったが、バブル崩壊のあおりで10年からの6年間で5度、赤字決算となり、白紙に。吉川氏は平成15年に社長となり、白木床材など高付加価値建材の開発による黒字転換で、ようや く再上場を果たせた  上場で得る資金は設備投資にあてる予定で、「今後は集合住宅用の新商品開発に力を入れ、営業力をつけたい」(吉川氏)という。倒産当時の社員は今も600人残っているが、本社ビルは建て替えられ、29年前の様子 を伝えるのは敷地内に建つ石碑に刻まれているかつての社訓だけだ  《頭を使って知恵を出せ!知恵の出せない者は汗を出せ!知恵も汗も出せない者は静かに去れ!》。永大産業に残り、知恵と汗を出し続けた社員たちにとって、再上場は本当の意味で再生のシンボルとなる                    ◇  東証2部に28日上場した永大産業の株式は売り出し価格520円に対し、午後1時現在で538円の値をつけた。