ID :
2048
公開日 :
2006年
11月10日
タイトル
[弥生期楼閣の柱か、鳥取で出土…現存で最長7m
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新聞名
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20061111p301.htm
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元urltop:
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写真:
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弥生人の骨や脳などが見つかった鳥取市青谷町の「青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡」で、1999年に出土した長さ7・24メートル、直径17センチの杉の木材が、現存する弥生時代のものでは最長の建物の
柱とわかり、鳥取県埋蔵文化財センターが10日、発表した。同時代に高層建物があったことを示す初の出土物で、調査した鳥取環境大の浅川滋男教授(古建築史)は「魏志倭人伝に記された『楼閣』(物見やぐら)が実在
したことを裏付ける物証」としている
木材は、遺跡北側にある弥生時代後期(約1800年前)の水路跡で出土。護岸の補強材として再利用されていた。その後の調査で、根元から高さ5・85メートルの所に、床を支えた木材を差し込んだとみられる「貫穴(
ぬきあな)」(縦25センチ、横7センチ)跡と、7・05メートルの所にも手すりをはめ込んだ穴らしい跡を確認。この木材が楼閣の柱に使われていたと判断した。これまでの最長は静岡県・矢崎遺跡の柱(4・98メートル)で、
貫穴はなかった
魏志倭人伝には、邪馬台国について「宮室・楼観(楼閣)・城柵、厳かに設け、常に人あり……」と記され、これまで唐古・鍵遺跡(奈良県)や吉野ヶ里遺跡(佐賀県)では、土器に描かれた絵や、柱穴などから推測して楼閣
を復元している
大阪府立弥生文化博物館の金関恕館長(考古学)の話「長い状態のまま見つかるのは珍しい。楼閣の柱の可能性がある。全国の遺跡で復元する際の材料になる」