ID : 11787
公開日 : 2009年 5月21日
タイトル
精錬燃料に森林を伐採、そして文明は滅んだ
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新聞名
nikkei BPne
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元URL.
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20090519/101451/?P=1
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元urltop:
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写真:
複数の写真が掲載されていました
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このように、古代文明の時代から人類が続けてきた森林破壊によって歴史上何が起きたのであろうか。文明の衰退である。森を破壊することによって発展させてきた文明が皮肉にも、森の破壊が原因で衰退していった
。
このことを科学的に立証したのは、世界で環境考古学という新しいジャンルの学問を確立した安田喜憲である(参考:同氏著『森と文明の物語-環境考古学は語る』=ちくま新書)。樹木などの花粉は何千年土中に埋ま
っていても組織が破壊されない。土中から採取した花粉を電子顕微鏡で分析することによって、どの年代にどのような植物が生えていたかを正確に知ることができる。したがって、文明の歴史と重ね合わせてみれば植
生の変化と文明の盛衰が関係つけられる。
木を伐って滅んだ文明
こういった研究の結果、森林破壊によって衰退していったことがわかった古代文明をいくつかあげてみよう。 かつて鬱蒼としたナラの森に覆われていたクレタ島に栄えたミノア文明(紀元前3,000~1,400年)。
クレタ島(ミノア文明、クノッソス宮殿遺跡とその周辺)
メソポタミアとの交易で栄えたが、輸出用森林資源の枯渇によって衰退したインダス文明(紀元前2500~同1700年)。アナトリアで紀元前1100年頃製鉄法を発明し、鉄製武器によって青銅製武器を持つエジプトとの戦
いで優位に立ったヒッタイト(紀元前1,600~500年)。
アナトリア半島(ヒッタイト遺跡とその近く)
モミ、マツ、ナラの森に覆われた古代ギリシャのミケーネ文明(紀元前1500~同1100年)などである。ミケーネの王、アガメムノンがトロイ攻めを行ったのは、ペロポネソス半島の森がなくなり、代わりにアナトリア半島の
豊かな森林資源に目を付けたからではないかと推測されている。
アナトリア半島(エフェソスの遺跡とその近く)
人類が最初に森の破壊を始めたのは紀元前3500年頃のことといわれる。メソポタミアで人類最古の物語が「ギルガメシュ叙事詩」として粘土板に刻まれたものが発掘されている。シュメールの王ギルガメシュの英雄伝説
である。この物語は、ギルガメシュとその従者エンキドゥが、レバノンにある香柏とよばれる鬱蒼とした杉の巨木の森を、その番人フンババを殺して破壊をするところから始まる。この豊かな森林資源をめぐってメソポタミ
アやエジプトの諸王による争奪戦が行われ、やがて消滅していった。
これらの古代世界に限らず、その後のローマ帝国、ペルシャ帝国、オスマン・トルコ帝国)、ムガール帝国、そして中国の唐・宋・元・明・清といったスーパー・パワーを築いた文明圏でも、あるいは、近代そしてずっと時
代が下って現代に入っても、世界各地の森林を破壊し続けてきたわけである。
時代は下って産業革命期に入ると、少なくとも製鉄用木炭をつくるための森林破壊は止まった。
イギリス人のダービー親子が石炭を蒸し焼きにしたコークスを使う高炉を、そして同じくイギリス人のべッセマーが転炉を発明した。転炉は溶鉱炉から出てきた銑鉄の中に空気を吹き込んで不純物を取り除き、大量か
つ安価に品質のよい鋼鉄をつくる方法である。これらの技術は現在も使われている。この近代製鉄技術が開発されたときには、すでに英国はじめヨーロッパでは森林はほとんど伐採しつくされていた。
精錬に使用する木炭生産のための森林・生態系破壊は止まった。しかし、金属の大量生産は別の目的でいまも森林破壊を続けている。
産業革命以後の急激な金属の需要増大は、鉱石採掘を世界に拡散させた。まず、高品位の鉱石資源が掘りつくされ、次第に低品位の鉱石も対象になっていく(現在、銅鉱石の品位は露天掘りの場合で0.6%、金鉱石は0.00
01%=1トン当たり金含有量1グラム程度である)。これは、わずかな金属を取り出すのに必要な採掘量が桁違いに大きくなることを意味した。その結果、発展途上国などの豊かな熱帯雨林を切り開き、大規模な露天採掘
が行われることが多くなってきている。