ID : 4152
公開日 : 2007年 6月21日
タイトル
里山~森をつくるために、虫を殺す? .
新聞名
nikkei Bpnet
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元URL.
http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/eco_society/070621_mushi2/
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元urltop:
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写真:
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コメント:わたしは日本の木を毎日製材しています。山も所有しています、読んでいて気が付きましたが、植林は「人工林」の始まりなんです。色んな山を見続けていますが、植林を自然に帰す為の善作と誤解されている方が多いようです。漁業で言う養殖魚を木に置き換えたと考えると如何でしょうか? 人工林を育て続けるためには、どうしても長期に渡って人が介しなければ山が自立できません。木を切ってしまった山を放置していると、いつの間にかその山の土壌や環境に合った雑木林に成って行きます。時を過ぎていけば木と木がお互いに牽制しあいながら山を埋め尽くしていく姿を見ています。最初に人が植える事は、山の復活の為のその時間を結局は永くしてしまう事もあるようです。植林に反対するわけでもないのですが、私たちの世界では「適地適木」です。山の時間に人が合わせることが出来るかが問われているようです。 (吉弘 辰一) reply:木にかかわるお仕事をされているのですね。いろいろと厳しい状況かと思いますが、山や木の仕事がなくなってしまえば、日本の山は息の根が止まってしまいます。ぜひよい仕事をお願いしたいと思います。 山に木を植えることは、養殖であり、あるいは50年かかって育つ畑だという人もいますね。僕がかかわっている森に関して言えば、共有の庭のようなものかもしれません。 庭、特に英国式のイングリッシュガーデンは、完成形というのがなく、常に変化していく中で、変っていっても美しい状態を維持し続けるところに、ガーデンオーナーの腕の見せ所があります。かなり知的な作業なので、イギリスでガーデナーとして最上位のレベルになると、労働者階級であっても王室から一代爵位がもらえるそうです。 僕がやっていることは、こういうガーデニングと、自然に近い雑木林と、林業の森の中間にあるようなことなのかもしれません。どのぐらいガーデニングに近いのかは、山がどの程度人手を求めているように感じられるかにかかっているように思います。 「適地適木」を追及すると、植物生態学者の宮脇昭さんが言われる「潜在自然植生の森」になるでしょう。西日本?関東当たりまででは、いわゆる照葉樹の森になり、タブの木やシイ、カシなど、常緑ではツヤがある樹種が混成する森にするのがいいとされています。宮脇さんがつくった森や、鎮守の森などを見ると、確かにこの森は手をかけなくてもそのまま安定した状態で世代交代を続ける森なんだと思います。その意味では、「適地適木」の極みです。 しかし、そういう森が、人にとって、身近にあってほしい森なのか、気持ちがいい森なのか、価値がある森なのかというと、必ずしもyesではなさそうです。
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