ID : 13205
公開日 : 2009年 9月11日
タイトル
地球村に架ける橋:NPO法人「緑の地球ネットワーク」=高賛侑
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新聞名
毎日新聞
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元URL.
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090912ddlk27070379000c.html
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元urltop:
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写真:
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学校に果樹園や樹木の植栽--中国・黄土高原の緑化に協力
見渡す限り黄土に覆われた大地。巨大な斧(おの)を打ち込んだ跡のごとき浸食谷。まるでグランドキャニオンのような環境に飛び込み、緑の蘇生に挑んだ男がいる。
「こんなに大変だと分かっていたら絶対始めなかった」とつぶやくのは、NGO「緑の地球ネットワーク」(GEN(ゲン))の高見邦雄事務局長である。
団塊の世代。1966年に東大に入学したが、学生運動に走って中退。日中の民間交流に従事する中で「中国の環境問題はいずれ大変なことになる」と痛感し、山西省大同市での緑化活動に協力を申し出た。
北京から車で4時間。大同市は5世紀には北魏の首都として繁栄した。が、その文明が環境を破壊し砂漠化を進めてしまった。しかも大同市は、戦時中に日本軍が「三光作戦」(殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす)を強行
した地であり、反日感情が強烈だった。
それでも高見さんは92年にGENを発足し植林活動に踏み出した。砂にのみ込まれそうな生活にあえいでいた村人たちは、半信半疑で苗木を植え始めた。
「小学校に行くと、校舎は傷み、授業は低学年だけ。そこに通えない子もたくさんいましたから、貧困問題も一緒に解決しなければと思い知らされましたね」
小学校に付属果樹園を造るというアイデアがひらめいた。植林によって収益を得るには何十年もかかるが、果樹園なら数年で収穫できる。おぼろげながら展望が開けたと思われた。ところが夢は無残に打ち砕かれた。
苗木がことごとく枯れ果てたのだ。
素人の限界をさとって撤退しても誰が咎(とが)めよう。しかし、彼は植物の専門家の立花吉茂氏(現代表)らに協力を要請する道を選んだ。94年、現地を訪問した専門家たちは、問題点を研究し正しい栽培方法をアド
バイスした。現地の技術者は伝統的なやり方に固執して猛反発した。
「それで両方のやり方を試すことにしました。すると劇的な違いが表れたので、現地の人々の考え方が変わっていったんです」
大阪・京都・兵庫を合わせた面積の大同市全域に協力地を広げていった。95年に拠点として建設した環境林センターは20ヘクタールにまで拡大した。以後、霊丘自然植物園などを各地に設立。実験を繰り返しながら
現地に合った栽培法を開発していった。毎年日本から250人以上のボランティアも参加し、植えた苗木の総数は1770万本に達した。
50カ所に設けられた果樹園の方は着実に学校に利益をもたらした。歌手の加藤登紀子さんが国連環境計画親善大使として訪問した日、村人は「貧乏だから勉強しても仕方がないとあきらめていた子どもらの意識が変
わった」と語って、加藤さんを感動させた。
もう一つの劇的成果は井戸である。ある村では遠くに井戸が一つしかなく、それもやがて涸(か)れる運命にあったため、「水は油より貴重」といわれた。GENが140メートルも掘って井戸を造ったとき、村人は「あなたは
村の恩人です」といって高見さんの手を握りしめた。とまどった表情の高見さんの目にも涙が浮かんだ。
多大な業績に対し、中国政府から「国家友誼奨」、日本でも「毎日国際交流賞」(毎日新聞社主催)などが授与された。彼はいまも年間100日以上を現地で過ごす。
私事で恐縮だが、6月に「八〇万本の木を植えた話」(合同出版)という児童書が出版された。内モンゴルの砂漠の緑化に成功した夫婦を取材した韓国人放送作家の著書を私が翻訳したのだが、死の世界のような大地
でも人力で蘇生できることに驚嘆したものだった。
自然は猛威をふるいたいわけではない。人間によって傷つけられた痛みに涙しながら、怒りを込めた報復を与えるだけだ。人が畏敬(いけい)の念を抱きながら人智を尽くせば、豊かな実りで応えてくれるのである。<
ノンフィクション作家>
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