中国の森林政策と雲南の森林の現状(1) 雲南の民族
と森林
.
新聞名
JanJan
.
元URL.
http://www.news.janjan.jp/culture/0711/0711200898/1.php
.
元urltop:
.
写真:
.
シリーズ前回記事:少数民族村の祭りと世界観(VII) 雲南の民族と森林(10)
筆者の前回記事:自然からの搾取「耕して天にいたる」 雲南の民族と森林(3)
注意して扱うべき中国の森林統計
中国全体の森林被覆率は、本連載(3)で17.5%(2000年のFAO統計)と紹介した。現在の最新データは、1999年から03年にかけて中国政府が行なった第6次全国調査の結果で、政府目標を数年前倒しで達成し1
8.21%と発表されている。これらの数字は世界平均約26%よりまだかなり低い。
中国人民共和国成立数年後の50年代初めには既に、森林が危機的状態にあることを認識し、北部から次第に全国に植林事業を展開した。しかしそれは主に1958-61年の「大躍進」期と1966-76年の「文化大革
命」期に無に帰してしまったとされている。
昆明-河口間の鉄道沿いの風景。生活適地とは考えにくいこうした場所にも人類は進出している。
にもかかわらず、驚くことに公式統計上では建国以来、中国全体の森林被覆率は徐々にではあるが上昇している。実は中国の政府統計については、大方の研究者が懐疑的である。その理由としては例えば、植林地に
おける活着率が考慮されていない点、樹冠面積40%以上を森林と計算していたが、1986年の森林法改正時に30%以上に基準を下げて一挙に森林面積が増加した点、また地方政府が中央の意向に沿って、あるいは
その指令に忠実に政策を実行していることを装って数字を水増しし報告する傾向、などが指摘されている。さらに雲南省の例では、熱帯雨林に比べて土壌流出量が3倍とされているゴム林や、茶畑まで一律に森林とみ
なし計算されている。
したがって中国の森林の実態は、統計に表れるものよりも悪いと考えるのが無難である。ちなみに1993年の公式統計では13.63%とされていたが、衛星からの観測データから、その当時は8%程度であるという調
査結果もある。
雲南省の森林面積の急減と質の低下
その公式統計中にあってなお雲南省では、中華人民共和国成立後急激に森林被覆率が低下した。1950年代以前は50~60%あったと推定される森林被覆率は、1980年には24%まで落ち込み、1990年統計では2
4.38%とされている。実に省面積の3割ほどにあたる面積の森林を30年間で伐採してしまったことになる。その実面積は約13万km2、北海道と九州をあわせた面積より広い。
その後公式統計では33.64%(1994年から1998年にかけて行なわれた第5次全国調査結果)へと急激に回復し、さらに2004年には50%を越えたと報じられた。その一方、雲南省政府の黙認の下で原生林の違法
伐採がアジア・タイムズで報じられ、問題化している。シンガポールに拠点を置く国際的製紙会社が製紙原料用に原生林を伐採し、その跡地に環境に悪影響を与えることが懸念されているユーカリを植樹しているという
のである。この一事を考えただけでも、森林被覆率50%達成という成果は疑わしい。たとえそれが正しくても、森林の質を考慮しない数字は注意して扱う必要がある。
50年代末から60年代初めまでの全国森林大破壊
最近の森林に関する動きについては追々見ることにして、まず歴史的事実を確認することにしよう。先述したように、雲南省では建国後1980年代初めまで、森林は急激に減少した。その原因はどこにあったのだろう
か。
一般的にまず挙げられるのが、先にも述べたように1958年から始まる「大躍進」政策、その推進母体である人民公社において行なわれた極度に非効率な生産・消費活動である。
人民公社は人々の生活全般を極端に集団化し、政治・経済・軍事などのあらゆる機能を集中させた単位で、共産党中央での人民公社設立指令後わずか1ヶ月で全国農家の98%を組織化した。
「大躍進」政策は開始の翌年には早々と矛盾が顕在化し、61年には正式に停止される。人民公社自体は性格の変化を伴いながら、1970年代末の改革開放路線への転換後の1982年に解体が決定され85年に完全消
滅するまで存続した。ここではまず1958年から61年までの「大躍進」期に焦点を当てよう。
この時期の森林への影響という観点からは次の3点が重要である。すなわち、「大釜飯」と「土法高炉」、そして水利・灌漑設備の建設である。
「大釜飯」とは共同食堂のことで、人民公社では社員の食事の共同化が図られた。人民公社はそれまでの合作社(後述)とはまず規模で違った。1958年毛沢東が主導して党政治局で決定された方針によって、行政村を
超える「郷」の規模での集団化が成された。単純に平均すると、1人民公社あたり約4,600戸という規模である。煮炊きを集中すれば燃料の節約ができそうであるが結果は逆で、いつでも自由に食べられる共同食堂は
膨大な無駄を生み出し、食糧と薪の浪費を引き起こしたのである。
2つ目の「土法高炉」とは、製鉄材料として一般家庭の鍋や釜まで供出させ、低レベルの技術による熱効率の悪い炉で粗悪な鉄を大量に作ったことを指す(生産量の3割が使い物にならなかったようだ)。鉄が経済発展
に欠かせないものであるとの認識から、その増産こそが強力な社会主義国家を建設する、というように巧みに象徴操作を行なった毛沢東の大号令の下で、国家建設へ大衆を動員した一つの典型例である。そのため大
量の薪と石炭がつぎ込まれた。石炭の採掘自体にも大量の木材が坑道の支柱として使われた。
3つ目の水利・灌漑設備の建設にも膨大な量の木材が資材として使用されたことは言うまでもない。この「土法高炉」政策や水利・灌漑設備建設労働に労働力を集中させたために、農業生産が手薄になり、食糧増産目標
とは裏腹に生産量は急落した。58年から61年にかけて自然災害が相次いでおきたことも手伝って、この間餓死者が1,500万から1,800万、多いと4,000万人に達したであろうという推定もある。
参考文献
天児慧 『中華人民共和国史』 岩波新書 1999年
矢吹晋 『文化大革命』 講談社現代新書 1989年
中嶋嶺雄 『中国現代史(新版)』 有斐閣選書 1996年
Richard Louis Edmonds, PATTERNS OF CHINA’S LOSTHARMONY, Loutledge, 1994
--------------------------------------------------------------------------------
※本報告の元になった調査の実施地域は、中国雲南省の西南部、メコン川はじめ何本もの大国際河川の集水域である。この調査(学術振興会科学研究費基礎研究(B)(1)課題番号13571021 課題名『メコン川中将流
域の森林と開発に関する研究』、代表:大崎正治、國學院大學経済学部教授)は2001年から3年間にわたって実施され、昨年ようやくその成果を、中国語版(英語版の要約との合本)で出した(現在日本語版を準備中)。
ここではその時の調査ノートから、研究プロジェクトメンバーの杉浦孝昌と時雨彰が交代で報告する。