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彗星夢雑誌/古文書

「彗星夢雑誌」を説く

雑賀貞次郎


 私は、昭和十二年十月、南方熊楠先生のご紹介で、日高郡塩屋村山田栄太郎氏の秘蔵にかゝる「彗星夢雑誌」を抄録することになり、翌十三年の秋までかゝつて略ぼ成し遂げましたが、この抄録の目的や事情については別に申し上げる機会があらうから、爰には一切触れないことゝとして、抄録のため全部に一ト通り目を通した記念に、この書物の解説といつたようなことを一ト通りお話し致します。
 「彗星夢雑誌」は塩屋村の医羽山維碩翁(大学、大岳とも称し蕃齋、蕃臾、杏花堂、待月楼と号す。)が嘉永六年七月から明治二年の初めまで、乃ち翁が四十六歳の秋から六十二歳の春まで、前後実に十七ヶ年、正味十五ヶ年半の間、紀州の勤王の先覚菊池海荘をはじめ翁と共に幕末日高の三先覚と称せられた瀬見善水由良守應らの交友知人と連絡し、おのおの江戸、京摂その他のそれぞれの手筋から中央政局の推移、各地の情況、海外の事情など、明治維新の大業を将来する海内、海外のトピックから小は市井の些事にいたるまで書信と言はず、風説と言はず、見聞と言はず、あらゆる方法によつてこれを知るに努め、互に得たるこころを交換し、以て時局の認識と機務の把握に精進したが翁は自から得たものは控へを残し、他から得たものは残らず写を留め、また一枚刷や内外の新聞や太政官日誌などからも写し取り、恐らく周囲の人々などにも回覧したり読み聞かせなどもし、これを保存したのが漸次積つて相当堆をなすにいたつた時、整理して年次別や事件別に綴り合せ而して順次これを続けて行つたのが、彗星夢雑誌であります。だから、これは維碩翁の著述ではなく、名の通り雑誌であり雑録です。
 彗星夢雑誌といふのは、初編第一巻の発端に彗星出現のことを記しているのと所謂乱世の兆とするこの彗星を名として藩末維新の発乱を書き留める意味を含めたものであらう。とにかく翁は当時医学の新智識たると共に日高地方において卒先して種痘の普及を図り私財を抛つてまで、それに努めたほどで、泰西の学術殊にその医学に憧憬しながらも、しかも国学、古道の造詣は敬神尊皇の志となつて燃え、幕末の擾乱、維新の風雲に際し国連の趣向と形勢の推移に多大の関心を禁ぜぬものがあつたが、紀州の僻南に住んで医業を本務としたので、敢て起つて身をその風雲中に投ずるに至らなかつたが、絶えず時勢を注意し観察し時局の認識を深く正しくするに努めたのが、偶ま筆まめであつたために図らずこの大冊子をなしたものと察せられます。実際翁の筆まめはこの雑誌を見ると泌々と感ずるばかりでなく、翁は明治十一年四月七十一歳で没するまで尚ほ筆録をやめず、いろいろの冊子を残しているのでも分ります。
 彗星夢雑誌の体裁は半紙型の疎末な紙質の紙(中央折り目のところ、下部に杏花堂の三字を刷込んでいる二十行の卦紙、概ね藍色刷。これは翁が自家用のため卦紙の木版をつくり、それで印刷せしめたものであらう)を用いている。但し中にはこの卦紙でなく半紙のものもあるが、それらは筆跡を異にしている。察するにこの分は他からきたものを其まゝ綴り込んだのであらう、しかしこれは例外でもあり僅少です。一冊の量は四十枚内外から八十枚内外までゝ巻によつて一定していない。(各巻の枚数は下の各巻内容説明の項に記す)三冊を以て一編としこれを第何編の上巻中巻下巻とし、初編から第三十八編まで、内ち第三十六編に附録一冊ありて四巻あり、総数百十五冊と外に総目録一冊となつています。但し第九編の上、中両巻は今は所在不明となつていて(これには別記のような推測説もある)これを除いた百十四冊が現存しています。各巻の内容については次ぎに概略を記しますが何にしても当時の紀州人殊に南紀州に住むものとしては、翁は最高、至便の連絡があつたとは申しながら、この時代によくもこれだけの情報を集め得たものと驚かれる程で、今日でいへば新聞、雑誌から政治、経済、外交、宗教、社会、文学、演芸、民俗、著述等の各方面のことを克明な切抜きにも等しいもので、しかも今日の掲載禁止事項に相当するもの-乃ち当時伝播流布を禁じた事件にまで及んでいる訳で、全く珍しいものであります。
 彗星夢雑誌に記されているのは、藩末、維新の間に起つた顕著なこと-勤王志士への弾圧、暗殺の跋扈外国船舶の出入、外国使臣の交渉、擾夷佐幕開国勤王諸流の抗争、将軍公卿等の公奏、諸侯の去就動静、暴動戦争等凡そ普通歴史に概ね記述されている事項が多い。しかしこれらの通信の提供者、担任者が市人側に多い関係もあり、情報をうける側も海荘のごとき商買であつた点もあらう、御用金の押借とか、日用品の相場とか、景気などのこと及び軍隊宿泊に関する市人の迷惑など、この時代、風雲中の市人、農民の生活に関する記述が少くないのです。又、生麦事件とか蛤御門の戦などに出逢ふて図らず見物した人の話や、長州役に紀州藩が農民から徴発した人夫の帰来談や伏見戦争から紀州へ落ちて来た幕兵のことや天誅志士水郡隼人等の面縛の一條など、ありのまゝの包み隠しのないもので、今でも生々しさが感ぜられる珍しい記述であることを、特に申しあげたい。又当時事件の発生地から凡そ幾日位で紀州へ伝へられたか、それぞれの事件が最初それぞれいかに伝へられたか、さらにデマや虚説も相当記されているが、どんな事件にどんなデマが飛び、どの地でどんな虚説が生れたか、而して思慮ある人々がそれらの説をいかに判断したか、歴史上の逸聞といつたものもあり、いろいろの点で参考とし資料とすべく、興味の多いものが甚だ多い。
 再び体裁に戻つて、初編から第十編下巻までの三十巻(うち二巻欠)の表紙は医書の表紙のはづしたのを用ひてをり、また全編を通じて表紙裏の貼り紙は書きつぶしの反古を用いているなど、翁の質素さがしのばれます。それから全部明朝綴にしていますが恐らく製本職人に委ねず、翁もしくは家人の製本したものかと察せられます。

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