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彗星夢雑誌/古文書

羽山大学の彗星夢雑誌

森 彦太郎


瀬見善水、由良守應と並称された幕末日高三志士の一人羽山大学は本来京都仕込の医者で、文字通仁術の主として名国手の譽高かつたばかりでなく、種痘普及の功没すべからさるものあること、嘗て田中氏の紀伊史談誌上に紹介して置いた通である。ここには勤王の先駆としての大学の遺稿彗星夢雑誌に就いて聊か紹介して置きたい。
 大学、姓は羽山、文化五年六月二十四日日高郡南谷組印南原村(今の稲原村印南原)に生れた。幼名芳之助、長じて維碩といふ。蕃齋、待月楼、杏花園等の堂号がある。大学といふのは医学の新智識であり、斯術は勿論、百科の学に博く深く通暁せざる所無き故の敬称で、誰言ふともなしに云ひ出した他からの尊称であつたが後自ら之を号とするに至つたものだといふ。しかし自身は多く大岳と書いた。
 大学人となり温厚和平、自ら奉ずる謹厳菲薄であつたが、人の為に議りては篤実博恵、仁術を以て肉体の疾患を治療する以上に、広く精神界の啓蒙救治を念願とし、特に国学古道に造詣が深かつただけに、敬神尊皇の志厚く又国運の趨向推移に多大の関心を懐き、夙に同志瀬見善水、由良守應、菊池海荘等と交遊し、絶えず中央政局の情報を得て、時流に注意していた。その情報は得るに随つて筆録し編綴し、時に感想や意見を附して同志に廻覧せしむるを常としていた。それが積り積つてここにいふ所の彗星夢雑誌となつた。だから内容上、実質上これを著述といふは、もとより当らず、標題の示す通り雑誌である。郵便電信電話などはあらう筈もなく、新聞雑誌といふやうなものも(大学がこれを思ひ立つた頃には)なかつた時代によくもこれだけ集録したものよと驚歎せざるを得ないほど、よく集めてある。其の体裁は美濃紙百枚位を一冊とし、一冊を一巻と数へ、上、中、下三巻出来ると一編とし、第一編から第三十八編まで、総べて百十四冊ある。その自序に曰く
 嘉永六年癸丑七月中旬頃より日々昏時酉下刻より西北戌亥の間に方りて奇なる星出現す、其形光芒箒の如く南東の方へ指す事凡四五尺、暫時にして西山のほとりに没す、其の迅速通常の星の類に非ず、俗に此星を箒星と唱へ囂々として姦し
といふ書き出しで、彗星についての古今東西の学説や俗伝を論評の上
 此星強ち凶悪の星とも言ひ難し、其吉凶は天より命ずる所なれば、君恭敬能慎謹して仁政を行ふときは凶も転じて吉と成る、所謂天作災猶可避、自作災不可遁、可恐可慎、今や四海波静にして五風十雨時を違へず、練鼓苔むして弓矢は袋、甲冑は質屋蔵に納り、敵より質の利息を怖る、城を枕の討死や忠孝仁義は迂遠にして二一天作十六盤枕、剣の出よと箒星掃出すよりも刎込んで帰一倍一爰らが秘密、斬る有難き世の中に生れし甲斐は三盈舗二合半酒の御仕来せにいつしか酔を催して正義を唱へ因循を睡して譏り太平楽天下に人のなき如し、口に任せてこけ徳利、ほろ酔機嫌に山鳥の尾の長々しく管を巻き涎と涙を流して其儘ころり肱枕、四隣に響く高鼾、夢は日本の地を離れ、地球一円駈巡り
と夢物語に入るが、戯筆舞文の裏に愛国の至情を寓し、志士的気概をほのめかして、さて関東からの急信に夢さめて
 とるや遅しと封切りて読めば不思議や眼の前に今見し夢の如くにて彼のアメリカの和聖東ペレシテントの国王より使節彼理の渡来として交易和親願ふ由、吾妻地方の動揺は筆紙に尽し難しとの報知なれば只茫然とあきれ果て不思議々々々と読直し又繰返し読返し読めばいよいよ不思議にて夢か現か、うつゝか夢か胡蝶の夢に異ならず、此頃現出でし箒星も是か夢か、夢なれば覚めよ覚めよと眼をすりすり夢路に綴る此もの語、彗の星ともろともに掃き集めたる塵芥、反古の籠に納れられて手巾にならん草紙なれと自ら彗星夢雑誌と標号して燈火に誌す夢の記は老いて書寝の目覚なれば人に見すべき文に非ず、只此上は大皇国 かしこき君の出まして国威を光輝かし神風に醜の夷人や箒星船もろ共西の海路へ吹拂ひ此夢はやく醒せかしと欺くいふものは紀伊の国、日高川下に思ふこと汲みて叶ふる神の下に住めるあんず園の下の叟夢路をたどりたどり誌す
干時嘉永六年秋七月
とあるから嘉永六年の起筆であることがわかる。この年箒星の現れたことは有名な事実で、日高郡由良村蓮専寺誌にも『七月十六日之夜より廿二日迄西に箒星出』とあり。何さま物騒な年であつた。この年大学はまさに四十六歳、時事に感じてこれを編むことを想ひ立つたのであつた。
 勿論内容は中央政局の情報(公武両方面の消息)が主になつているが、御三家の一として相当重きをなしていた紀州侯及び其の周囲の動きなども本書によつて手にとる如くわかる。たとへば第二編上巻、魯西亜船大阪湾へ入帆之事。加太浦にて紀藩士応接之事(嘉永七年十月四日)。六の中、紀伊侯御養君に被為成候事。公方様御薨去之事。八の中、紀藩江戸より来信之事。十の上、紀州侯御入国之事。仝中、海防役附之事。十二の下、紀泉界瀧原敵討之事。十三の中、吉村寅太郎新宮侯へ書簡之事。浪士山地へ自縛出訴之事。熊野路混雑之事。吉野郡風説之事。狂詩之事(以上天誅組騒動関係)。十五の上、紀伊侯征長名代之事。御請之事。二十の上、御進発に□人調厳重之事、伊達、岩橋、由良召捕之事。仝中、紀州侯出陣之事。二十二の上、紀中納言征長総督之事。紀伊侯上書之事。紀先陣安藤出陣之事。浜田口戦争之事。廿五の上、紀侯総督辞表之事。奇兵隊より紀侯へ呈書の事。八月七日大風雨洪水の事
といふ風に紀州関係、郷土関係の記事も沢山ある。郷土関係では瀬見氏菊池氏等地方政界の上局に居つた人々から機密に亘る事項まで内報を受けている。また今でいへば新聞の三面記事として取扱はれる猟奇的な材料も入手しているたとへば黒江○○屋賊難の事だの若山寄合橋建札之事だのはそれである。
 兎に角本書によつて大学の人となり、特に国事に大なる関心をもち大義の闡明、今でいへば国体明徴といふやうなことに非常に熱心であつたことが窺ひ得られる。尚大学自身の感想や意見を吐露した杏花園雑記(数冊)により一層大学その人の国士的風格を偲び得る。(昭和11.6.7 、七)