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彗星夢雑誌/古文書

幕末の政治・情報・文化の関係について

前国立歴史民俗博物館長 宮地正人氏のご協力を得、1988年11月5日 愛知大学記念会館での講演から製作しました。


 彼は、西洋の事情にものすごく興味がある。実際に種痘をやるような人ですから、自分自身ものすごく積極的に情報を集めるのです。自分自身が集める手段は幾つかあるのですが、一つは、やはりお医者さん仲間の情報なのです。少し歳の若い人に、沢井俊造という人がいます。そして、この人が、嘉永3年(1850)ですからペリーが来る少し前に、大坂の緒方塾に行くのです。大坂の緒方塾というのは、単に大坂だけの問題だけではなく、紀州も含めた西国の医者世界が非常に注視していた学問所だ、と思っておいた方が良いと私はつくづく感じさせられました。その沢井俊造がよこす情報は、緒方塾で入手する情報なのです。一つだけ材料を挙げますと、嘉永6年(1853)10月ですからペリー来航の直後に、「琉球人唐土カラ故郷へ遣し候書簡写、右琉球人之書牘并風説書とも薩州書生宿元」より緒方塾に来る。このようなものを、転送というのか、沢井という紀州の人が写して羽山に送る。これは、かなり大事な問題でして、少しパラフレーズしますと一つは、緒方塾は西洋医学の伝習の場だけでなくて、各地方のエリートが来るのですから、そのエリートの情報交換の場になってともあろうに当時ロシア領であったアラスカにまで行ったのです。ですから、ロシア語ができる。非常に特異な例です。そして、こういう漂流民が下田に送り帰されます。本来なら漂流民というのは扱いが極めて悪く、国元では水夫の仕事は禁止され、他国に出てはいけない。こういう規制が強かったのですが、幕末はそうではなくなって、こういう体験を経験した人が、取り立てられる時期になり始めていました。そして、この天寿丸の乗組員の一人も、羽山大学が居たすぐ側の小浦という遠見番所の見張番になるのです。いわば、外国船が来るか来ないかを浦々で見る、その番人になる。その直後に、ロシア船が来る。ディアナ号でプチャーチンが来ます。長崎に来るのは最初ですが、二度目は、沿海州から函館を通って太平洋から紀州灘を経て大坂湾に入るという安政元年(1854)の大事件です。大坂湾では大騒動です。大坂湾に入る前に、紀州を通り紀州藩全体も大騒ぎになる。そして、帰りに紀州藩に寄りますから紀州藩の人間とロシア人が会話するのです。その通訳をこの江崎太郎兵衛という人がやる。で、この江川太郎兵衛とロシア人の会話の一部始終を、これは直接聞いたのか、或いは伝聞なのかよく分かりませんが、後で非常に細かく書いている。そして、その中には、ロシア語もちゃんと書いているのですね。そういう意味では、この好奇心たるや驚くべきものです。そういう形での情報が入るのです。

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